改めてヨーゼフ・ボイスを問い直す-『ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命』より-

ヨーゼフ・ボイスという人間を知ったのは、現代美術に関する本をたまたま購入した3回生くらいのときで、そのときは「フェルトと脂肪という変わった素材を用いる作家」というくらいの認識でしかなかった。それがいつか、彼の思想面を知ることで僕の彼への興味というのは一気に深まった。労働者として働くにつれ、学生時代は考えたこともなかった労働という行為それ自体やその意味を考えざるを得なくなったのだが、そんな自分にボイスの考えというのはとてもしっくりときた。それは恐らく学生時代に耽溺していた文学や思想の世界という極めてメタフィジカルな領域と、日々の労働という極めてフィジカルな行為を結びつける役割を担ってくれるように思われたからに他ならない。

そうした中、1月で終わってしまったが水戸芸術館現代芸術センターで行われていた展覧会「Beuys in Japan ボイスがいた8日間」に行けなかったのが悔いとして残っていた。色んな面で不調な時期だっただけに到底行くだけの体力がなかったのだが、書店でこの展覧会をまとめた書籍が出ていると知り、購入したのがこの本。

BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命

BEUYS IN JAPAN ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命

本書の内容

内容としては、ボイスの最初で最後の来日となった1984年の8日間を、その当時の関係者のインタビューや批評家による言説を中心にその意義を改めて問い直そうとするものである。書籍ではボイスを自身のアイドルとして挙げる坂本龍一や、異端の社会思想研究者である仲正昌樹などが寄稿しており、あっという間に読んでしまった。

「社会彫刻」を巡る彼の思想面について

「社会彫刻」、「全ての人間は芸術家である」、といった彼の有名なテーゼは、常に彼を語るときに付いて回るが、実際にその意味を理解していたとは言えなかった。それが、来日時の講演で語った次の言葉により、理解できるような気がした。一部を引用する。

「すべての人間が芸術家であるということは、すべての人間に本当の能力があるということです。なにも音楽を作ったりする必要はないのです。例えば今日の現代的な飛行機に乗りこみますと、この飛行機を作るためにどれ程の発明の才能が必要であったか、どれほどの創造力、クリエイティブな力が必要であったか、そしてどれほどの芸術が必要であったかということがすぐ解ると思います。その意味ですべての人間が芸術家だと私は言っているわけです。」(本書pp147より引用)

誤読されやすい彼のこの有名なテーゼについて、ここまで明快にかつシンプルに語れる力、これこそボイスの一つの魅力なのではないかと感じる。ボイスは様々な場面で「創造」というキーワードを使うが、これこそ20世紀後半、製造業から知識集約産業*1へと産業構造が変化する中で最も人々に求められている能力の一つではないか。

また、

先ほど私は、どんな人間も芸術家であると申しましたが、それはどんな人間も画家になったり、あるいはモーツァルトのようになったりすることを意味するのではありません。どんな人間も社会の変革のために働けるという意味です。従って歯医者さん、看護婦さん、ゴミを運び出す人々、お母さん達、あるいは会社の課長さん、部長さん、工場長、マネージャー、そうした誰もが、自分自身の考えによって本当の意味で自らの創造力を共同体に提供することができるのです。それが芸術作品というもののもっている、本来の要求にかなうものだと私は考えています。もしも、それができないならば、この大地と人間は崩壊し、没落することになると思います。(中略)我々が思考することによって、社会あるいは人間の肉体を、新しい、大いなる彫刻として作っていくことを、私は考えております。(本書pp148より引用)

ではより具体的な形で彼の目指す「社会彫刻」の姿が描かれている。それは人々が真摯に労働という行為に従事する、それも「創造」することを常に考えながら働くことで、一つの共同体が変革されていくプロセスである。創造といってもそれは何も特別なことではないように思われる。産業構造が変化し、知識集約型の労働形態が中心*2となった現代において、創造とは不可欠の営為であるからだ。

労働と「社会彫刻」

こうしたボイスの「社会彫刻」論は必然的に資本主義という思想に密着に寄り添うものになるはずだが、この点を巡ってすれ違ったのが、この初来日時の東京藝術大学との対話会である。この初来日は80年代、日本の文化事業の中心とも言える西部グループの主導によって主催されたが、「企業」という資本主義的な存在によってボイスが招かれたことは当時の学生に混乱を招いたようであった。未だに根強い文化左翼の人々にとってはこうしたボイスの考え方は決して理解されることはないであろうし、様々な批判も当然あり得るとは思う。しかし資本主義というところにまで目を向けなくても、一労働者としての僕自身、ボイスの思想により救われた気がするのは事実である。そして、多くの人々がより多様な職業観・労働に従事するようになった今日においても、彼の思想が何かしらの見地を我々に与えてくれるのもまた、事実であるように思われる。

*1:この産業構造の変化についてはP・ドラッカーの一連の作品が詳しい。特に『ネクスト・ソサエティ』。

*2:所謂、第三次産業・サービス業を想起してもらえばわかり易い