一日の終わりにふさわしい音楽〜Tom Waits 『Closing Time』〜

Closing Time

Closing Time

一日の締め括りに一人酒を飲みながら聞く音楽として、このアルバムほど最高なものはこの世にないかもしれない。Tom Waitsのデビューアルバムにして、彼の傑作。後の大傑作『Rain Dogs』で聞けるような先鋭性やアブストラクトな印象はここになく、ピアノやアコースティックギターをバックにしみじみと歌われる彼の曲はどれも名曲揃いと言って良い。特に僕が好きなのは、「Marhta」という曲。

40年以上も前に一緒だった恋人に向かって電話をする一人の男。今のようなすぐ相手に繋がるのではなく、交換機手を経由してようやく繋がった相手に向かって彼は遠くからかけているけれど、金は気にするなと囁きかける。それはまさに酒と薔薇の日々のようなもので、恋人の他には詩と散文しか持ち得ないような生活。

電話という間接的な対面によってかつての恋人に話しかける老齢の男の姿は痛烈な哀れみを感じさせる。何があって彼が電話したのかは明らかにされないけれど、若かりし頃の思い出を思い出として留めておくことが出来ずに、つい電話のベルを鳴らしてしまった、そんな気がする。

この曲の他にも「Grapefruit Moon」や「Ol 55」、「lonely」など本当に優れた曲が多い。Tom Waitsはまだまだ現役で活躍していて、その精力さには恐れ入る。もう「Martha」で歌われる男の年代に入っているだろうから、今彼が歌うこの曲を聴きたいと強く願う。

動画は「Ol 55」を。

ルールも何も知らないのだけど興味だけはある

何のことかというと将棋に。
きっかけは梅田望夫のこの本、『シリコンバレーから将棋を観る』。

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

読みたいなあと思っていたら、大の将棋ファンであるmonolithのボーカル、M氏から貸してもらうことができた。彼から将棋の話はちょこちょこ聞いていた*1が、実際この本を読んでマジで将棋の世界が面白そうに思えてきた。僕は本当に将棋のルールなんて知らないし、今までやったこともない。それでも羽生善治を初めとした一流の棋士たちの世界が如何に深いものなのかは理解できる。そこには人間が最高のパフォーマンスを発揮するためにはどのような行動が必要かという洞察や、勝負というここ一番における精神のあり方・保ち方など様々な見識に溢れている。将棋の世界は非常に優れたロジカルシンキングの実践の場なのかもしれないと思ったりして。いずれにせよ梅田氏が書いているような「将棋の上手くない将棋ファンがいたっていいじゃないか」という主張に賛同する将棋ファンは多いのだろう。そしてそういうファンが増えることによって将棋という世界に可逆的な影響が与えられ、より面白くなるならばそれにこしたことはないと思う。将棋のルールも勉強してみようかな。

羽生氏のこの本はライトな語り口で、結構ベタなことを言ってたりもするが、その辺りも含めて彼の人となりを感じることが出来た。40万部突破ってのも凄いね。

決断力 (角川oneテーマ21)

決断力 (角川oneテーマ21)

*1:特に百万遍の喫茶店兼ブルースバーのZACOマスターとの会話のときが多い

祝祭的な音空間の創出〜Pharao Sanders 『Love In Us All』〜

ラヴ・イン・アス・オール(紙ジャケット仕様)

ラヴ・イン・アス・オール(紙ジャケット仕様)

ファラオ・サンダースは大雑把に言って、一般的にはフリージャズの演奏家の一人と捉えられているように思うが、この作品を聞けば彼の音楽が如何に痛切な精神性を帯びているかが分かる。セシル・マクビーのミニマリスティックなベースラインに導かれるように楽器が重なっていき、そこには祝祭的な音空間が創出される。そこにどれだけの救いや祈りが込められているか、聞き手は分からないけれども、結果的にそこにそれらのものを読み取ることは自由である。ジャズという枠を超えて、全ての音楽を愛する人が聞く価値のある作品とはこういうものだと思う。僕はこの作品をこれからも一生聞き続けるのは間違いない。

サンプリングによるポップスの傑作〜 Avalanches『Since I Left You』〜

SINCE I LEFT YOU

SINCE I LEFT YOU

このアルバムを買ったのは僕が高3か大学1年のときくらいのはずで、最近久しぶりに聞きなおしているのだが、何と言うかポップスとしての完成度の高さに恐れ入ったという感じがしている。彼らはオーストラリア出身のバンドで、このアルバムは数百単位のサンプリングを重ね合わせて作成したアルバムだと言われている。ありとあらゆるパーツをコラージュしながらもそれでいて聞いていて最高に楽しくなれるというのは純粋に凄いことだ。全体のサウンドもさることながら、メロディーラインの組み方がめちゃくちゃ良い。脳内にリフレインするような曲が多く、なかなかこういう作品はない。これだけ完成度の高い作品を作っていながら、オリジナルアルバムはこのデビューアルバム以降、全く出ていない様子。DJミックスアルバムなんかはあるようなのだけれど。このクラスの作品を同じ手法で作るのはやっぱり難しいということなんだろうか、だとしたら非常に残念。

鹿島茂 『吉本隆明1968』

新書459吉本隆明1968 (平凡社新書)

新書459吉本隆明1968 (平凡社新書)

大学時代、必死になって吉本隆明の著作を読んでいた時期が懐かしい。全てを理解したとは到底言えないが、個人と社会が如何に対立するかを構造的に描いた『共同幻想論』との出会いは僕にとって大切な出会いの1つだった。20過ぎだった僕が彼の著作に感銘を受けたように、1968年近辺に学生だった者にとって彼の著作はバイブルのようなものだったと言って良い。なぜあの時代に彼が先鋭的な若者たちの精神的支柱であったのかを描いた評論。新書の割にはかなりのボリュームがある。この本の中でも繰り返し述べられているが、吉本隆明の魅力というのは知識人と大衆の間にあるヒエラルキーを批判的な視座で捉えた点にあると僕は思っている。生活に根ざした思想家というのが僕にとっての彼のイメージだし、それは彼に影響を受けた人ならある程度まで同感してもらえるのではないだろうか。労働という行為に従事するようになってから、僕はその点をますます強く認識している。

川上未映子 『ヘヴン』

ヘヴン

ヘヴン

別にこの著者が芥川賞を取っても僕は全く興味がなかったし、某チンタロー(某国首都の知事ですね)が評するように「タイトルを見ただけで嫌悪感を抱くような」作品が多いのは、僕も同感である。彼女が言語に対してどのような意識を持っているのかは知らないが、そうした文体意識を遠くに投げ捨てた時に現れるこのような物語にこそ僕は興味がある。本作品の魅力は、クラス中のいじめに合っている男子と女子、2人の中学生が密かな交流を経てどのように社会性を身につけるのか、その過程をくまなく読者は体験できる点にある。そこには成長というものがある社会性を獲得するプロセスに他ならないという視座が存在している。物語の結末、男子生徒が抱えているハンディキャップが病院との出会いによって解決可能だと知ったときに現出する希望とは、社会性がもたらした帰結であると僕は考えている。

喪失と成熟、成熟には程遠いけれど

最近読んだ小説には何となく失われたものを取り返したいという欲求が出ているような気がした。それはさておき列挙。

トルーマン・カポーティ 『誕生日の子どもたち』

誕生日の子どもたち (文春文庫)

誕生日の子どもたち (文春文庫)

久しぶりに読むカポーティだが、彼の自伝的要素の強い小説は僕らが通り過ぎた季節についての深い洞察に満ち溢れていることを再認識した。こんな強い感受性を持った人間は成長したとしてもその檻から逃げ出すことは容易ではなく、実際彼が辿った運命はその支配下から逃げられなかったと言って良い。強すぎる感受性は実際的な生活の中で支障になることを知っている者はそれを投げ捨てることを厭わないが、そこに一抹のためらいを感じた人こそ彼の作品に触れたときの感動は大きいと思う。

ジェフリー・ユージェニデス 『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 (ハヤカワepi文庫)

ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹 (ハヤカワepi文庫)

ソフィア・コッポラ監督の映画『Virgin Suicide』の原作。原題の方がこの小説の内容をよく表していると思う。邦題は余りに饒舌すぎる。アメリカの片田舎で暮らす5人の姉妹が次々に自殺する様子を描いた小説。小説としての出来は高いとは言えず、姉妹と同級生だった主人公が成長してから当時の資料を基に物語を再構成するという語りの仕組みも高い成果を挙げられてはいない。しかし、次々と自殺する少女たちの詩的イメージは絶大であり、そのイメージを想起させる点にこの作品の価値はある。そういう点では僕は見たことがないのだが、むしろ映画の方がこのイメージをより表現することは可能であるように思われる。映画の音楽は今は懐かしい(?)フランスのエレクトロニック・デュオのAIRですね。

恩田陸 『夜のピクニック

夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック (新潮文庫)

今更読むのも多少気恥ずかしいところがない訳ではなかったが、読後感は強い感動と共に色々な記憶を想起させられた。脇役の使い方が非常に上手い。それはさておき、売れる小説というのは中々文学的な評価を受けにくい所が多々あるが、これだけの作品を書けるのに直木賞未受賞ってのはおかしいだろう。

古処誠二 『アンフィニッシュト』

アンフィニッシュト (文春文庫)

アンフィニッシュト (文春文庫)

これは全くテーマと関係ないのだが。若手作家でありながら執拗に戦争をテーマにした作品を書いているという点が気になって読んでみた。この作品は直接的には戦争が舞台ではなく、自衛隊内部で起こった銃の紛失事件を巡るミステリータッチの作品。著者が自衛隊出身だからこそここまで細部に渡る叙述が可能なのだろうが、彼は大きな思い違いをしているように思える。それは自衛隊内部で起こった銃の紛失などは(自衛隊以外の)我々シビリアンは誰も、本当に誰も気になどしないという極々当たり前の事実である。その事実に目を向けて狭い世界に入り込んだとしても、それが我々に訴えかける可能性は0に近い。とはいえ、戦争や戦場をどのように彼が書くのか気にはなるので、他の作品も読んでみたいと思っているが。